沿革

1932年、キトーは東京都大田区大森で小さな町工場としてスタートしました。

戦争の混乱と敗戦の動揺を色濃く残しながらも、時代は高度成長期へ。キトーは混沌としたなかで電気チェーンブロック開発、物流システム事業への参入など時代のニーズをとらえながら成長し、企業基盤の骨格を作り上げていきました。

その後のバブル景気や円高不況に翻弄されながらも着実に前進できたのは、ひとえに「製品の小型軽量化、安全性と耐久性の向上」に忠実に取り組んできた結果です。その品質へのこだわりを裏付けているのが、開発、設計、部品の製造、最終組み立てから製品の試験まで、全てを一貫して手がけている工程です。その工程は、安全性が高く、使いやすく、お客さまのニーズに合致し、環境に寄与するという企業理念を体現し、キトーのものづくりの根幹を支えています。

1990年の米国子会社設立を皮切りに海外事業を拡大、現在では国内60%、米国40% (以上、当社調べ) のマーケットシェアを実現し、世界中にキトー品質を提供しています。世界のあらゆる市場におけるキトー製品の安全と信頼の付加価値のために。今後もたゆまぬ努力とゆるぎない信念を携えながら「世界で最も信頼されるホイスト・クレーンメーカー」になるべく精進し続けていきます。

History in Pictures

キトーの前身である鬼頭製作所は1932年、東京都大田区大森の小さな町工場としてスタートしました。
社員数は6名。ウインチ、プレートコンベア、ポンプなどを中心に生産していました。

わずか20代にして、約900㎡の工場を立ち上げた、創業者の鬼頭美代志。
根っからの技術者で独立心旺盛な若者でした。

1939年には、神奈川県川崎市に新工場「中野島工場」を設立。
面積は約1240㎡、当時需要が急増したチェーンブロックの専門工場として建設されました。

チェーンブロックとの初めての出会いは、1934年。
そのわずか3年後には、「小型・軽量・強靭」の3拍子揃った銅製チェーンブロックの開発に成功します

1939年にベンダー(自動鎖曲げ機)とウエルダー(自動鎖溶接機、写真)を日本で初めて輸入。
チェーンブロックの品質の生命線である、鎖生産の自動化に踏み切ります。

1947年、日本初の万能牽引機「レバーブロック」を開発。
リンクチェーンや遊転装置の導入など、画期的なアイディアや技術を盛り込んだ、渾身の製品でした。

1958年、電気チェーンブロック第一号が完成。
2年後に東京・晴海で開催された国際見本市に出品されると、キトーブースには連日黒山の人だかりができていました。

1970年、社名を「株式会社鬼頭製作所」から「株式会社キトー」に変更。
併せて販売ネットワークの強化などを図り、新生キトーとして新しいスタートを切りました。

1983年、現在の本社工場である山梨新工場が、釜無工業団地に完成。
FAモデル工場、そして徹底して環境面に配慮したエコロジー工場として設立され、今日に至るまでキトーのものづくりの中核を担っています

1990年、アメリカ・ペンシルバニア州に初となる海外現地法人を設立。
これを皮切りに、アジアやヨーロッパなど積極的に海外市場へ進出していきます