KITO at 90

More to come !
More to come !
1932
キトーの前身である「鬼頭製作所」は1932年、東京・大森の小さな工場からスタート。創業者の鬼頭美代志は、当時20代の若者でした。数台の旋盤やフライス盤が置かれた小さな工場でしたが、6名の社員も数年後には10名と、会社の規模や取り扱う製品は、徐々に大きくなっていきました。
もっと詳しく見る1934
創業当時のキトーは、ウインチ、プレートコンベア、ポンプなど陸軍からの受注が中心でした。チェーンブロックの生産に乗り出したのは、1934年のこと。欧米からの輸入品が主流だったなか、高品質な国産品の誕生は日本のものづくりの現場から重宝されたことでしょう。
1939
鎖の最新鋭の設備「ベンダー(自動鎖曲げ機)」と「ウェルダー(自動鎖溶接機)」がドイツから横浜港に到着。キトーが日本で初めて輸入したものです。現在の価値に換算することはむずかしいのですが、会社の明暗を分けるほどの高額投資だったことは間違いありません。それでも導入に踏み切ったのは、チェーンブロックの良し悪しは、鎖の完成度が生命線だったからです。
1949
終戦後の混乱の中で経営が厳しかった時期には、なんと双眼鏡を作っていたことも。もしかすると、今とは全く違った業態になっていたかもしれません。他には自転車のハブ、鋤簾(鍬のような道具)なども製作。試行錯誤をしながらも、ものづくりの実力を高めていったことが、チェーンブロックやレバーブロックのヒットにつながりました。
1969
すっかりおなじみの「キトーイエロー」。その誕生は1969年。奇しくも、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功したのと同じタイミングでした。この年を境にキトーのコーポレートカラーは黄色になりました。もちろん、お客様の使用環境に応じて、白や水色、ピンク色と七変化することもあります。
1949
時代に先駆けて始めたのが、製品を安全にお使いいただくために不可欠なアフターサービス業務。レバーブロック発売から間もない1949年、車一台でスタートしました。主要ユーザー層だった炭鉱を巡回し、正しい使い方や修理方法をレクチャーしつつ、現場の作業者の意見を聞き取って製品の改良につなげました。
1951
創業者の鬼頭美代志が、初めて渡米。自動車、工作機械メーカーなど40社以上を視察し、特に強い印象を受けたのは鎖のメーカー。「チェーンブロックの命は鎖であり、米国製の優秀な製品を見て、私は全社をあげて鎖との戦いを始めようと思った」と語り、生涯をかけた鎖研究のきっかけとなりました。
2016
キトーが独自に設計・開発したワイヤロープホイストRY形が誕生。グローバル市場での活躍を願って、Rope hoistの「R」、Yearn(切望する)の「Y」を取ってRYと名付けました。チェーンブロックで実績を重ねてきた独自の技術を余すことなく詰め込んだRY。日本で設計、中国で生産、アメリカで組立と、オールキトーの逸品です。
2017
人には百八つの煩悩があると言われ、その煩悩をはらうために除夜の鐘をつく回数は108回とされているようです。茨城県竜ケ崎市にある来迎院の新しい梵鐘の設置にキトー製品が使われました。重さ750kgの梵鐘は、37代小田部庄右衛門さんの手で6か月ほどかけて完成されました。
1938
「特定セル製品(標準品)と特定セザル製品(特殊仕様品)を共に大切にせよ」。創業者の鬼頭美代志が、後世の社員たちに残した言葉です。市場が求める製品は決して一つではない。規格化した製品とともに、特殊なニーズにも柔軟に対応すべきである。いつの時代も、こうした仕事に対する心構えを大切にしてきました。
2017
チェーンブロック・マイティをベースに開発された、モータ付き手動チェーンブロック。人の力で50トンも吊り上げることができる優れもの。とりわけ重量物を運ぶ作業で活躍します。写真は、鹿児島県伊佐市を流れる川内川に架かる曾木大橋。老朽化により撤去作業が進められています。
2017
2014年に世界遺産登録された富岡製糸場。国宝「西置繭所」の建屋は、南北に104.4メートルの長さがあり、4本のレーンそれぞれに取り付けられたキトー製品が保存修理工事に使われています。4万9千枚以上の瓦を一枚一枚取り外して、状態を確認。再利用できるものはできるだけ使って、元の姿へと戻されるようです。
2018
第51回山梨県溶接技術競技大会の「炭酸ガスアーク溶接の部」で優勝しました。その年の秋、山梨県を代表して全国大会に出場。残念ながら入賞は逃しましたが、各都道府県を代表する大手企業の精鋭たちと、肩を並べて競技できたことは、とても刺激になりました。(中澤 由起也)
1975
開発から40年以上にわたり、世界中のお客様から愛された電気チェーンブロックEF形。惜しまれながらも2018年3月29日、最後の組立となりました。1980年代には、国内・海外向けを合わせて、13,000台が出荷され、キトーの基幹製品の代表として、グローバルで活躍しました。
2015
キトーの製品をテレビで見かけることは、珍しくありません。工場や建設現場に限らず、屋内でも屋外でも、重量物を扱うシーンの上方には、きっと、キトーの製品が・・・。
1959
手動のチェーンブロックとして、初めて焼き入れチェーンを採用した「キトーマイティ」。1959年3月に市場デビュー。マイティの誕生でキトーの代名詞「鎖のキトー」の印象がさらに色濃くなりました。
1964
東海道新幹線が開業したのは1964年10月。東京から大阪を結ぶ高速鉄道の誕生です。新幹線のレールは在来線の約4倍、1本200メートルもあります。技術開発力を買われたキトーは、当時の国鉄からレール敷設の相談を受けて、見事成し遂げました。
1961
1961年、ホイストからクレーンまで一式で納めて欲しいとの要望を受けて、「簡易走行クレーン」の開発に成功。キトーは2年後の「両端駆動式簡易クレーン」の開発を皮切りに、クレーン事業にも本格的に参入。写真は、がん治療センターに納めたエンドレステルハ。直径20メートルの円形レールが特徴的です。
2017
障がい者の雇用管理や雇用環境の改善など、キトーにおけるさまざまな取り組みが評価され、平成29年度「障害者雇用優良事業所等の厚生労働大臣表彰」において、障害者雇用職場改善好事例の最優秀賞(厚生労働大臣賞)を受賞しました。
2018
ペーロン船は長さ13メートル、幅1.58メートル。一艇につき2台同時操作の電気チェーンブロックが搬出入を行います。中国から長崎に伝来したペーロン競漕。1922年、播磨造船所(当時)の長崎県出身の従業員によって、兵庫県相生の地に伝えられました。同僚たちと一緒に漕ぐことで、彼らの故郷である長崎を偲んだようです。
1939
自動鎖溶接機の「ウェルダー」もまた、ベンターと共にドイツから輸入されました。ベンダー、ウェルダーのどちらも、キトーの生産性向上にすぐに結び付いたわけではありません。当時の日本にはウェルダーに適した鋼材がなかったり、工場の電力そのものが不安定だったり。キトー仕様への改良作業は、悪戦苦闘の連続でした。
2003
レバーブロックL5形の姉妹品として誕生した「LXシリーズ」。建設現場や橋梁工事に使われるイメージのあるレバーブロックですが、LXシリーズは軽量コンパクトで取り扱いやすく、価格もお手頃。個人のお客様からの支持も多く、人気商品となりました。
2012
2012年、東京スカイツリー®が完成。東京の新たなシンボルがまた一つ誕生しました。地上での鉄骨部材の組み立て作業に欠かせないターンテーブルの駆動用として、また鉄骨部材の引き上げにも、たくさんのキトー製品が活躍しました。
1981
吊り荷のキャッチング、搬送、位置決め、取り外しなどを完全自動化した「キトーオートクレーン」の開発に成功。省力・省人化や安全性において、発売当初から評判も上々。40年を過ぎた今もなお、進化を続けています。写真は開発当時の出荷前検査の様子。
1963
「人が増えて会話が一方通行になりがちなところ、社内報が相互通行の道をつけてくれた。一番喜んでいるのは、たぶん私であろう」と創業者の鬼頭美代志が創刊にあたり言葉を寄せている。いつの時代もキトーは、社員同士のコミュニケーションを大切にしています。
2014
色とりどりのチューリップが咲き誇っていますね。2014年の秋に東日本大震災の復興支援活動で訪れた、宮城県気仙沼市の幼稚園から届きました。子どもたちと一緒に植えた球根が、半年後にきれいな花を咲かせました。
1999
台湾の国際空港内に納められた、航空機エンジンメンテナンス用クレーン。同システムとしては、初の海外受注。このシステムの納入によって、台湾をはじめアジア地域にKITOブランドが広く知れ渡り、アジア市場への展開が加速されました。
2021
山梨本社工場では、さまざまな工程で最新技術を活用した自動化や省力化が進んでいます。自社設計のオートクレーンによるシステムもそのひとつ。ロボットの手が届かない場所へ、オートクレーンが絶妙なタイミングで部品を運びます。稼働モニターで設備の保全も万全で、24時間の連続稼働も可能です。
2007
一度は非上場化に踏み切ったキトーは、「真のグローバルNo.1のホイストメーカー」を将来像に掲げ、経営基盤を強化。飛躍のための体制を整え、2007年8月9日、東京証券取引所第一部への上場を果たしました。
2023
キトーの証券コードが焼き印で入った、特注の「6409どら焼き」。株主の皆さまへの定番のおみやげで、おいしいと好評でした。上場以来、16年間の長きにわたるご支援に改めて感謝申し上げます。
2012
帽子の側面に入っているラインは、色や本数にも意味があります。たとえば白いラインは一年生、黄色の2本のラインは生産現場の責任者を示します。工場内では必ず着帽しなければなりません。今日も一日ご安全に!
1992
1992年12月、東京本社ビルが完成しました。新宿新都心にほど近い、閑静な住宅街の中に建てられた、地上8階建ての自社ビル。真新しいビルで働く社員の気分も、さぞかし上がったことでしょう。
1965
立体自動倉庫「モノリフト」を開発したのは、1965年のこと。開発して数年後には、容量や機能も格段に向上し、大口契約が相次ぐようになりました。そのうちの一つが日本有数の大手自動車メーカー。神奈川県にある工場に、ターンテーブル11基と4台のモノリフトを納入しました。
1945
終戦直後の食糧難に、自社で農地を作るべく川の干拓を画策したときのこと。干上がった沼地にうなぎを発見、思わぬ大漁に今夜はごちそうだと大喜び。しかし、満潮を迎えると完成したばかりの堤防が決壊。涙の味がしたのか、「これほどまずいうなぎはなかった」。とはいえ、当時世に出たばかりのブルドーザーやポンプを使い、着想からごく短期間で形にできたのは、鬼頭美代志と社員の行動力やチャレンジ精神があってのことでした。
1939
チェーンブロックの生産を始めたのは1934年。当時は重量物搬送の機会が急増し、相当量の需要が見込まれていました。そこで、新鋭設備を備えたチェーンブロックの専門工場「中野島工場(神奈川県川崎市)」を設立。チェーンブロックの完成度を高めるべく、鎖の自社生産にも乗り出しました。
1979
神奈川県にあった二つの工場が手狭になり、将来の発展を見据えて山梨県昭和町への全面移転を決断。足掛け5年におよぶ、壮大な移転プロジェクトとなりました。
1983
工場の全面移転は会社にとっても、当時の社員800人にとっても大きな決断でした。移転後の生活に会社側もできうる施策を講じ、およそ9割の社員が山梨へ移りました。
1990
キトーとして初めての海外拠点は、アメリカ東部ペンシルベニア州のハーリントン・ホイスト社。米国で最初に電気チェーンブロックを手掛けた、1867年設立の老舗企業です。
1995
現地の有力クレーンメーカーとの合弁で「江陰キトー」を設立。ロープホイストを中心に手掛け、中国起重機業界のトップメーカーとして揺るぎない地位を確立しています。
2006
欧州初の販売拠点として設立したキトーヨーロッパ。製品ラインアップを拡充し、お客様との信頼関係を構築、競争の激しい市場においてキトーブランドの浸透に注力しています。
1958
アメリカを視察した鬼頭美代志は、チェーン式電動ホイストが使われていることに衝撃を受けました。日本への普及を予見した美代志は帰国後、軽量かつ強靭なチェーンの開発に成功し、電気チェーンブロック第1号が完成。市場の圧倒的な支持を獲得しました。
2019
新たな生産拠点として、「キトーホイストタイ」が設立されました。立ち上げ準備の重要な時期がコロナ禍と重なるも、チーム一丸となって生産体制を構築。世界各地へ向けて製品の出荷が始まりました。